寄港地にて
Nesliyanへ贈る。記憶の底に決してうずもれる事のない思い出とともに。
2005年5月から10月にかけて録音・制作された。 (mp3, 2'14, 2.6MB)
一つ、ジャカスカしていて、二つ、野蛮で、三つ、音の塊のようなサウンドは移動式音楽班が追究して止まぬものなのであります。専ら生楽器によって。この曲はそんな三要素の実現を目指したものだ。ジャカスカで、野蛮で、音の塊になっているだろうか。
曲は「旅」の真っ只中にいる人間を容赦なく襲う、無遠慮で、混沌として、問答無用な事象・風物との対峙を歌っている。自分を縛っている諸々から逃れようとしても、そいつらは容赦なく追いかけてくるのだ。「旅」には終わりがあるし、終わりに向かって突っ走っているといえるかもしれぬ。そうした「ジタバタ」とでも表現したくなる風情を、声も駆使して表現を試みた。
中盤でヤケクソ気味に歌われる「ぷれっぷれっぷれっ」なる旋律は、1992年にトルコ共和国に滞在していた際、お世話になったある家の娘さん(8歳くらいだったか)が歌っていたものを編曲している。大衆的な歌謡曲なのか、民謡なのか、童謡なのか、はたまた彼女の創作なのか、とにかく、ちょっとハスキーな声で舌足らずにうたう感じがとても印象的だった。この箇所を彼女に捧げる旨の献辞を怠ることはできません。ま、こんな曲、捧げられてもひっくり返っちゃうかもしれないけどさ。
<歌詞>
モツカノトコロミナトニクギヅケ
この酔いどれた航路の途中
目下のところ港に釘付け
太陽の下、甲板の上、右往左往
気分はまるで家畜のようさ
早口言葉のありったけ、家鴨、煙草屋、ソーダ売り
朝だというのに夜の顔、花売り、馬喰、動物使いにまじない師 はっ
汗が俺をうんざりさせる
嘘がエンジンのビートに変わり、裏切りがスクリューのメロディーに変わる
ぷれっ ぷれっ
季節は移り変わって行く
つまり死に、そして再生する
真っ赤に燃えた太陽だけど
やがて沈む、だけど昇る、やはり沈む
モツカノトコロミナトニクギヅケダ
この酔いどれた航路の途中
目下のところ港に釘付け
エンジンのビート、スクリューのメロディー、右往左往
<使用道具>
洗濯板 / ジル / ダウル /ガイダ / マンドリン / クラシック・ギター / ウト